あらゆる限定は否定である スピノザ
私は無事ファンデーションコースをoverall95.5%の成績で卒業して、教科ごとに本校を含む全校舎でトップの生徒に与えられるSubject Award ももらった。でも私はその大学の学部に進まずに、ランクをグッと下げた別のコースに九月から入ることにした。今は日本の実家に帰ってきて休暇を過ごしている。
私がファンデーションからそのまま大学に入学しなかった理由はいろいろあるけれども、主な理由は3つかな。
一つは金銭的な問題とそこから生じるストレスのこと。もともと母子家庭で金銭的にそこまで余裕のある家庭ではないのだけれども、母が比較的給与のいい職に就いていることもあり兄も芸術大学に通い音楽をすることができている。が、兄の卒業後の就職や院の進学に関しても不安がある中何かと負担が大きく、加えて最近の円安と現地の物価高騰の影響で学費の負担が無視できない状態になってる。私が当初行く予定だった大学の学費は年間約150万円程度。払えなくもない額ではあるけれども、生活費や渡航費諸々を考慮すると正直安いとも言えない。ファンデーションコースの最終学期の終盤から母から資金面を心配する連絡が度重なり、ファイナル試験のプレッシャーと相まってかなり精神的に追い詰められていった。私が将来働いて返すこともできるのに、子供の大学教育に対する出費を拒む母親を憎いとまで思った。働く大変さをほとんど知らない私が言っていいことではないのは百も承知で、たったの150万円、教育を将来に対する投資だと母が考えてくれないことがとにかくもどかしかったし理解できなかった。こういうストレスを感じながら勉強をするのは苦痛だと思った。
今でも、少し短期的に考えすぎたかな、という気持ちがないと言ったら嘘になる。世界ランキング50位に入る大学の学位をお金の問題で諦めるのはやはり勿体無い。学費の出費は一時的だが学位は一生物だからだ。成績も能力もあって(教師など客観的な他者からの評価と学力成績から言っている)、学ぶ意欲も将来に対する向上心もあるのに、お金のストレスで有名大学の学位を諦めるのはなんとも早急に思える。資金だって給付型の奨学金を狙うことも、比較的裕福な親戚を頼ることもできたはずだ。そう。確かにお金のストレスは進路変更の大きな一因だったけれども、それはあくまで一因でそれだけが問題だったわけじゃないのだ。私だって、そう簡単に目標や夢を諦めたりしない。
二つ目にあるのが、自分自身の生き方の問題で、世界ランキングで箔をつけようとすることが自分の生き方に反していると思ったこと。世界ランキングに関係なく私は実力、能力があれば夢や目標を実現することは可能だと思ったし、みんなが右に行く時に右に行かずに、むしろ左を選択する逆張りというか変なこだわりを持った生き方がかっこいいという自分の哲学というかポリシーを持っているのもあると思う。みんながどうとかいうつもりはないが、少なくとも私は自分の中に、世界ランキング上位の有名大学の学位をとることで見栄を張ろう、自分の価値を誇示しようとする心がどうしても引っかかっていた。そういう心がカッコ悪いと思ったし嫌だった。だったらランキングは低くても自分の学びたいことが学べる金銭的な負担も少ない大学で問題ないのでは?と思ったのだ。
とまあカッコつけたことを言ったけれども、まだ他にも理由がある。ランクを下げた大学の方がストレスを軽減しながら安定して勉強に集中できるため、結果的に自分の目標に向かって前進できそうだと思ったから。有名大学の競争が高い場所で仲間と切磋琢磨しながら成長できるのは事実だと思うし、そういう環境がとても魅力的にも映る。同じファンデーションコースを卒業した学生が大学の様子をインスタのストーリーに載せているのをみると、いいな、私も行きたかったなっていう気持ちも起こる。自分の選択が果たしてよかったのか不安にもなる。しかし、私は自分が何にとって何が一番重要か、優先度の高い物事は何かを熟考した上で進路を変更した。私にとって優先すべきは、目標、夢の実現とそれを精神的身体的な健康を保った上で達成することだ。
というのも、私は精神疾患をもっており、気分が安定しないため一貫したパフォーマンスを維持することが極めて困難だ。私の病気にとって、過度な精神的身体的ストレスは大敵で、ストレスや感情を刺激する物事が引き金となって気分症状が出てしまう。精神疾患をもった人にとっての留学生活は、そうでない人と比較して何重にもハードなものになるのは想像に容易いが、私はその覚悟をもって留学生活に臨んだのだけれども、完璧主義的な思考回路が脳内に刻印されてしまっている私は、適度なバランスを保ちながら勉強をを続けることのむずかしさを、ファンデーションの一年を通して改めて痛感した。そりゃさ、できるかもしれないよ、自分で言うのもなんだけど理解力もそこそこあって努力家な私は、きっと、どの大学に入っても試行錯誤しながら頑張っていい成績を取るんだろうよ。だけど何かを選択する時には必ず何かを犠牲にしなければいけない。自分の健康と精神の平穏を犠牲にしてまでプレッシャーと課題の山に追われながら3年間を過ごすことに意義を見出すほど私は、その大学の学位を取得することに必要性を感じられなかった。実際のところはわからない。本当は、これまで何度もそうであったように、私が想像しているような厳しい環境でもなく入ってみれば対処できる程度のストレスだったのかもしれない。けれども、実際どうかは本当はあまり重要じゃなくて、自分が自分自身の健康を、一般的に考えて価値のあるものより優先した、その事実こそが自分にとっては重要性をもっていて意義深いのだと思う。悪くえば、自分の能力に自信がなくて、両立することの負担は大きすぎるのだと認めたとも言えるかもしれないが、私はあえて自分の選択を建設的・積極的限定であったと考えたい。二兎を追う者は一兎をも得ず、都合の良い諺を適宜味方につけて生きていきたいよね。いや、どの大学でも特に海外は勉強大変だってわかってるけどね。
これからも自分の選択に自信がなくなることもあるかもしれないけれども、結局のところ、自分の選択を正解にするのは自分自身に他ならない。何を選ぶかではなく、なぜそれを選んだのかがより重要であり、そして、その選択を最大限自分自身の目標と夢、成長にとってポジティブなものにしていくための行動ことこそが最も重要なのだと思う。だからさ、自分の選択に満足できるようにこれからの三年間ももっと成長していきたいよね。
P.S. なんか色々書いてたけど、うん、とりあえず悩みまくってます。でも最善を尽くそうとする意思はいつでもある